昨晩、非常に懇意にしていただいている友人宅にて仮面舞踏会。
私は優雅な阿波踊りを披露。ひょっとこの仮面なり。
友人のダンサーは奇奇怪怪なコンテンポラリーダンス。怪物君のお面なり。
そして、我が親友は得意の裸踊り。お面なし。
酒池肉林か、肉欲棒欲、雨あられ。
仮面舞踏会の帰途、バス停にてバスを待つ。
西班牙(=スペインと読む)人3人も待つ。
10分後バスきたり。
速度減速一切無し。スピードオーバー罰金。
バスが素通り、パリのベアメイク成れの果て。
タクシーにて帰宅。
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パリの魅力について考える
パリの魅力はどこにあるのか?
すくなくともフランス人自身にはそれほど魅力はないかもしれない。
別に感じいいわけでもないし、愛想いいわけでもないし・・・
ただ、ああいう風に呑気にノンビリ生きてるのはいいなぁと思う。
パリの魅力はこの街並みだろうか・・・
この風景を維持するのは並大抵の努力ではないだろう。
100年くらい殆んど風景が変わっていないのでは?もちろんマイナーチェンジはあるけど。
計画的な都市。東京とは正反対。計画性ゼロの無防備都市。
だから、新しいものと古いものが利便性のもとに融合。美意識ゼロの美意識か・・・
パリはいわば糞詰まりの便秘状態。
百年休まずにちっくたっくちっくたっく・・・
おじいさんと一緒にムクムクもっこりもっこり、
今はもう動かないおじいさんのイチモツ。
西洋人がオリエンタルやらエキゾチックにあこがれるように、
僕らはパリに憧れる。
結局、憧れたイメージそのままにパリ生活をできれば幸せで、
イメージが崩壊した人は恨み言。
心地良いイメージに溺れないで、イメージの向こう側にあるパリの顔を
冷徹な眼で眺めてみたいもんです。
ああ、無常
シャワーの水がひっきりなしにポタポタ垂れてくるので、
水道屋を呼んだ。
午前中に来るというから朝9時から起きて待ち構えていたけど、
来たのは12時過ぎ。フランスではこれくらいの遅刻は御愛嬌。
来たオヤジは愛嬌のあるいい奴だったから許す!
オヤジに言われて気付いたけど、
この部屋には水道の元栓がない。
元栓がないから水を止められないから修理もできない。
元栓は隣の部屋のシャワーの下にあるらしい・・・
元栓設置工事をしてからでないと、
水漏れを直せない。
ものすごい設計だ。
元栓設置工事も水を止めないとできないから、
何よりもまずやらなければいけないのは、
隣の部屋の住人と交渉して、
元栓を締めること。
隣の住人がいつ在宅しているのかわからないから、
多分、この工事は停滞渋滞遅々として進まず、ということが予想される。
水道屋がいい奴で、幸い大家もいい奴だから、
それだけが救いだなぁ。
久しぶりにまともなブログを書いた気がする。
今夜は友人宅にて晩餐の予定。楽しみである。
さて、これは誰が書いたでしょうか?
「星になって光ろうという志がないからでしょう。最初から自分は並みの人間だと決めてかかっていて、並みの小説の枠の中で人より少しいいもの、変わったものを書くということしか考えていない。それで凡庸さの中に居座って、実に素直に書いている。この貧困さには耐えられない、とホランダーさんは言ってましたがね。」
「いつだったか、内藤さんもおっしゃっていましたね。近頃の文学青年、文学少女は文学的な育ちが悪い、いいものを余り食べていないらしい、贅沢を知らない、だから自分という材料を素直にだしさえすれば大人は喜んでくれる、という子供レベルで書いている、お手本なしに平気で書いている、こういう文学的養分とも伝統の土壌とも関係のない作文は文学以前です。」
これはある小説から抜粋しました。いい批評ですね。
日本人の文章の特徴をフランス人はこう評します。
パラフラーズが多すぎて、なかなか核心に触れない、触れたと思うと終わってしまう。
わかりやすく言うと
前戯が長すぎて、じらされる。挿入したかと思うと早漏。
ではフランス人の文章はというと、
まるで聖書解釈学のように永遠と講釈を述べる。
あまりの薀蓄っぷりにうんざりして退屈する時もあり。
つまり、前戯なしでいきなり本番、そして遅漏。
女は疲れちゃうっつ~の!
ちなみに黒人の場合はデカイので苦痛を伴う。
私がこの一年間、論文を書いて学んだことは以上のことです。